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連盟はやわかり
 
目的
 
  絵画、版画または彫刻の制作を専門とする美術家が、その専門分野を越えて、美術家相互の連絡連携を深め、美術家の職能を擁護するとともに、美術に関する諸問題の調査研究、情報の収集・発信、普及啓蒙及び国際交流を図ることにより、社会における美術の役割の向上と振興に寄与することを目的とする。
 
沿革
 
 
昭和24年
〔1949〕
個人加盟による美術家の全国組織として創立、故安井曾太郎氏が初代会長に就任する。
連盟の事業推進の連絡機関として近畿在住の美術家で組織する連盟関西支部を設立した。(支部長 須田國太郎氏)
 
昭和25年
〔1950〕
「文化国家建設」を国の内外に公約した首都・東京が都心に近代美術館を設立するよう東京都に建議書を提出した。
 
昭和28年
〔1953〕
日本文芸家協会ほか3団体と協力して、文芸・美術・映画・写真などの同種の業種に従事する者を組合員とする文芸美術国民健康保険組合を設立する。
 
昭和34年
〔1959〕
社団法人設立が認可され、公益法人としての性格と社会的地位を明確にした。
 
昭和37年
〔1962〕
現在の美術家会館が完成し、連盟は都心に活動拠点を置いた。
 
昭和38年
〔1963〕
株式会社国際美術センターが設立され、会員のための画材販売、版画工房の運営、美術教室・講習会の開催、会議室・アトリエ等の貸室事業を始めた。
 
昭和44年
〔1969〕
版画工房を株式会社国際美術センターから連盟に移管し、外部からの摺り注文に応じる体制を整えた。
 
昭和51年
〔1976〕
版画工房は昭和38年に設立、13年間にわたり版画技術の普及に寄与したが、当初の目的を達成したので1月末に閉鎖した。
 
昭和56年
〔1981〕
株式会社国際美術センターを解散した。これにより新たに連盟事業部を設けて、購買部、貸室事業等を推進、会員の利用を計った。
 
昭和57年
〔1982〕
核兵器反対の声明につき全会員に賛同の署名を求め、声明文と署名簿(2012名)を総理大臣に提出、かつ関係方面に配布した。
 
昭和60年
〔1985〕
関西支部は連盟の組織と活動強化に大きな役割を果たしたが、連盟が全国組織に発展し、支部の任務が達成されたので、11月、解散した。

アメリカの脱退によるユネスコの危機を訴えた、音楽・美術・演劇・文学の国際NGO4団体の共同声明を支援するとともに、政府がユネスコの組織と活動の強化をめざし、危機打開に努力することを求めた要望書を内閣総理大臣に提出した。
 
昭和61年
〔1986〕
昭和60年の国会で廃案になった「国家秘密法案」が「防衛秘密法案」として国会への提出が準備されているので、声明書を公表し、この法律の制定に危惧を表明した。
 
昭和62年
〔1987〕
東京丸の内の銀行倶楽部の改築計画について日本建築協会の保存要望を支持し、文化的建築物の保存、保護についての政策推進を都知事に要望した。
 
昭和63年
〔1988〕
会員及び専門美術家の利用と国際交流に役立てる目的で、会館6階に連盟画廊を開設した。
 
平成5年
〔1993〕
広島県福山市が進めている鞆の浦の埋め立て開発計画に対し、景観保存の立場から、同計画の抜本的な見直しを求める声明書を発表した。
 
平成6年
〔1994〕
1月17日に発生した阪神淡路大震災の見舞と一般被災者に対する支援を行うため、全会員に見舞金募集の呼びかけを行なった。
 
平成7年
〔1995〕
連盟は平成5年よりナショナル・ギャラリー(仮称)の建設問題について文化庁に陳情を行なっていたが、文化庁は平成7年10月、ナショナル・ギャラリー(仮称)の基本構想を発表、ギャラリー建設準備に向けて本格的に動き始めた。連盟は美術家全体の意見を集約して文化庁に反映させるため、連盟内にナショナル・ギャラリー建設促進委員会を設け、活動を開始した。(ナショナル・ギャラリー建設の運動は、「国立新美術館」が東京・六本木に建設され、平成19年開館されたことにより、結実した。)
 
平成9年
〔1997〕
「完全学校週5日制」の導入で義務教育における美術や音楽の教科が必修から選択に組みかえられる恐れが生じたため、この問題は、ただ単に美術教育だけではなく、日本文化全体に係る問題であるとの認識から、美術家の意見書を内閣総理大臣、文部大臣をはじめ関係方面に送付した。(その結果、教科全般の週当りの単位時間数は圧縮されたが、美術・音楽の教科は必修に残された。)

財政危機解消の方策として発表された東京都の文化施設使用料の見直し案の中に、都美術館の使用料も大幅に値上げされる恐れが生じたため、連盟は主な美術団体の意見をとりまとめる形で要望書を作成し、都知事及び都議会議長に陳情を行なった。(その結果、3月の都議会本会議において、上記値上げ案は、一括否決され、白紙に戻された。)
 
平成10年
〔1998〕
年末恒例の美術家扶け合いのための「第50回年末連盟展」を開催、昭和24年から続けられてきた年末連盟展は第50回をもって幕を閉じた。
 
平成11年
〔1999〕
連盟創立50周年記念祝賀会(5月31日、東京會舘9Fローズルームにて)
 
平成13年
〔2001〕
連盟は従来、美術著作権の確立擁護の一環として、国内の著作権の代行業務を実施してきたが、これに加えて、1月より外国著作権の管理業務を開始した。
 
平成14年
〔2002〕
東京都は、都美術館の使用料値上げを含む東京都美術館条例の改正案を都議会第1回定例会に提出したので、都美術館使用料の運営に多大な影響を及ぼすとの認識から、都知事宛要望書を提出した。
 
平成15年
〔2003〕
ナショナル・ギャラリー建設作業に入り、今後は利用料金や利用条件等、施設の管理運営に関する事柄が検討されるので、利用料金の設定にあたっては、美術団体の展覧会活動に影響が及ばないよう格別の配慮をお願いする旨の要望書を文化庁長官に提出した。
 
平成17年
〔2005〕
中央教育審議会において、子どもたちの「学力低下」への危機感から、「ゆとり教育」の見直しを図るため、義務教育における教育課程のあり方について審議が進められ、教育行政が「ゆとり教育」から「学力重視教育」へと方向転換されれば、子ども期の人間形成に不可欠な美術の授業時間が削減される恐れが生じたため、連盟は中央教育審議会に請願書を提出し、美術教育の重要性を訴えた。
 
平成19年
〔2007〕
第1回「美術家連盟新会員奨励展」の開催。
 
平成21年
〔2009〕
全会員を対象に「作品の収納・保管」についてのアンケートを実施した。
 
平成22年
〔2010〕
連盟購買部は、昭和38年に設立されて以来、会員に良質な画材を廉価で提供してきたが、当初の役割を達成したので、1月末日をもって廃止した。
 
平成23年
〔2011〕
3月11日に発生した「東日本大震災」の被災者に対する支援を行なうため、全会員に見舞金募集の呼びかけを行なった。
 
平成24年
〔2012〕
公益法人制度改革のための法律にもとづき、「公益社団(財団)法人」か「一般社団(財団)」のいずれかに移行することが義務づけられたので、連盟は「一般社団法人」への移行を申請し、4月1日付で認可された。
 
事業
1.調査研究に係る事業
 ①研究事業及び提言事業
 ②美術関連資料の収集と提供

2.情報発信に係る事業
 ①資料刊行事業
 ②インターネットによる情報提供
 ③機関紙の刊行・頒布事業

3.普及・啓蒙に係る事業
 ①国際交流事業
 ②セミナー・講習会事業
 ③相談事業

4.収益事業
 ①国内著作権代理業務
 ②貸室・貸画廊

5.共益事業
 ①見舞・弔慰
 ②各種保険の加入斡旋
 ③会員管理・会費管理
 ④展覧会入場優待
国際交流
日本美術家連盟は昭和28年(1953)、芸術上、政治上その他の相違を越えて世界中の美術家が提携する国際NGOである国際美術連盟(International Association of Art. 略称IAA)の創立に参画するとともに、IAA日本委員会を設立、以来IAAの執行委員会として、IAAの事業に協力している。

IAAは現在ユネスコと諮問的地位のパートナーシップを結んでいる。

昭和41年(1966)にIAA総会を、昭和60年(1985)にIAA執行委員会を東京で開催した。
IAAの加盟国は約190ヶ国。
協力関係にある外部団体
文化審議会著作権分科会、著作権情報センター、日本複写権センタ−、デジタル時代の著作権協議会、日本著作者団体協議会、日本美術著作権機構(APG-japan)、日本美術著作権連合、文芸美術国民健康保険組合、国際美術連(IAA)、IAAアジア・太平洋地域委員会等。
組織
正会員約5,300名(日本画・洋画・版画・彫刻の4部門に分属)
理 事20名(業務執行に関する意思決定機関である理事会を構成)
監 事2名
委 員70名(理事会の諮問機関である委員会を構成)
各種小委員会委員がそれぞれ役割分担して下記小委員会を構成し、事業の円滑化を図っている。

入会申込選考委員会
著作権委員会
技法材料研究委員会
IAA常任委員会
明治以降美術の業績調査委員会
ニュース編集委員会
福利厚生委員会
美術教育に関する研究委員会
提言・意見具申
連盟は美術家の総意を代弁し得るとの自覚から、必要と認めた場合には、行政当局、関係機関、あるいは社会一般に対し、声明、要望、提案などの方法によって発言している。これまでにも都市美、美術著作権や美術館建設の問題、あるいは文化政策の問題でこれを行った。
入会金・会費
入会金 10,000円、会費年額 17,000円